記録

自分の経験で得られた結果と考察の記録

卒業

今週のお題「卒業」

 

卒業

→ 1.主に学校での課程を学び終える

→ 2.次の段階へ行くために何かを終了するさま

 

2.は学校の卒業の意味を比喩的に使い一般化したもの。ということは卒業は1.を指す。

 

入学した以上最終目標は卒業であるからして、卒業は予定調和なのである。それ自体にそれ以上の意味はなく、そこにドラマ性を求めるのは自己愛の現れだという面もあるよ。

写真は自己満足か

特にアマチュアの写真家さんは

「写真は自己満足の世界」とか言いますが

そんな風に考えるから気持ち悪い写真ばかり撮るんだよ!

とは言いたくても賢い私は言わない

 

例えば撮影テクのこなれた爺さんが孫の絶妙なショットを撮る

構図も、光も表情も抜群だ

だが、その顔だ

 

人物が入る写真は顔立ち、スタイルがその写真が表現するものにマッチしていなくては見ていて見苦しい

 

だからそんな写真はプリントして自宅の壁にでも貼って眺めてくれ

公の場に流さないでくれ

 

もっと冷静に客観的に見るべきだ

写真が下手

私は写真が下手だ。商品目当てに応募しても引っかかりもしない。

 

・・・・

 

私はSNSで自分を人に良く見せることができない。

病気だったり、トラブルだったり、ひどく落ち込んだ話をしたい。同情を買いたいのではなく、そのやれやれとした感じや、歳とともにガタがきてそのしょうもない感じを一緒に笑い飛ばしてもらいたいのだが、SNSはそのような場ではないらしい。

 

その感覚のズレが良い写真を撮ることの障壁になっているような気が最近している。

私が発信したいことと、受け手が求めていることが極端に違うのだな。

それはそれで価値観の強制が行われているようでとても気に入らない。

写真のタイトル

 私は長いこと趣味で写真を撮っていますが、人に見せることもないし、何かに応募するこもほとんどありませんでした。

 賞金や賞品目当てで応募することはありますが、何にも引っかかりません。私が下手な写真を撮ることはどうでも良いのですが、写真をUPする時に、その写真のタイトルというものがあります。

 写真にタイトルをつけることが私には抵抗があります。主にインスタではない写真目的のSNSを利用するのですが、滅多にタイトルは付けません。付けたとしても抽象的なものしかつけません。

 写真の世界ではよく「撮影意図」というワードが出てきます。私にはこれの意味することに物凄い違和感を感じています。写真を撮ること、写真を見ること、芸術的な写真、記録写真どんな写真にでも見る自由があります。感じる自由があります。タイトルは写真の撮り手の意図や意味を縛りつけます。時には撮り手の主観でしかない感情をも押し付けてきます。私はそんなタイトルの付けられた写真に出会うと吐き気さえ感じます。

 私は写真は撮ることも見ることも好きですが、殊更写真の世界では撮影意図があってこそ正しいという風潮があります。だから写真のコミュニティが大嫌いなのです。

iPhoneのイヤホン

 iPhoneのイヤホンの音質は悪くはないが、よい音ではない。純粋に音質を評価するとなると正直悪い。

 だけど不思議な事に長時間聴いていて耳が疲れない。聴き流すだけという用途では音質は不満はないレベルでそういう使用には十分である。

 そういう意味ではとても良いイヤホン。

ネズミ

私の住む北海道、少なくとも生活圏ではほぼ野犬を見たことを数十年無いです。

 

野犬を見なくなって、しばらくすると道路で車にはねられたキツネをよく見かけるようになりました。キツネが増えたのです。今や住宅街にも来ます。今はこれで安定しています。

キツネが増えてしばらくすると今度は鹿が増えました。子鹿がキツネや野犬にやられていたのが生き延びる確率が増えたのでしょう。今、鹿は微増を続けている段階なのでしょう。鹿のおかげでマダニが増えました。

 

昨今、野良猫の保護活動云々で、去勢、耳カットなどしていますが、このままでは野良猫が減ります。

ネズミや鳥、虫の被害がこれから増えると思います。私の生活圏や、車で道路を走っていてネズミを見ることは以前はほとんどありませんでしたが、最近はよく見かけます。そのうちペストなどが流行るのでしょうか。

 

猫に関しては、猫の嫌いな、よく思わない人からの苦情が始まりだと想像できます。現在、先にクレームをつけて優位性を持つ攻撃的な社会コミュニティ手法が成立しています。少し穏やかになりつつあるようですが。

 

大人はもっと考えるべきです。