記録

自分の経験で得られた結果と考察の記録

それは本当に映えるのか?

映えるものを映えて撮るのもわからなくはないが

映えるものが本当に映えているのかがわからない

人が映えていると思い、切り出した写真も

映えると思っている映えるものも

僕には大そう素晴らしいものに見えなくて

それを撮ることに意味を見いだせない

物撮りの商業写真であるまいし

 

僕にとって写真は記録と記憶の狭間のようなものなのだなあと感じた瞬間がありました

ごめん。やっぱりコマーシャリズム(笑)

 普段人と話をしたくない人にとって、トーキングマラソンなんていうのは苦痛そのものだろう。

 「そんな人にはこの企画はあまりお勧めしませんが、ですけど・・・やってみることで新しい自分や人生が見出せるかもしれませんよ!」なんて言われたならば、それこそ啓蒙、啓発の名を借りたコマーシャリズム(笑)

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by アルク「トーキングマラソン」

コマーシャリズム

 英語が話せたら素晴らしいという偏った啓蒙に載せたプロパガンダに見えるようでただのコマーシャリズム

 長年言われているが中高と6年も英語教育をしてペラペラ話せられるようにならない日本の教育システム。試験、成績至上主義だからだ。これを延長したところで大きく変わらない。

 わけのわからない検定も大好きな日本人。これも成績至上主義の教育の賜物であり、グローバルと言いながらガラパゴスを目指している。

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卒業

今週のお題「卒業」

 

卒業

→ 1.主に学校での課程を学び終える

→ 2.次の段階へ行くために何かを終了するさま

 

2.は学校の卒業の意味を比喩的に使い一般化したもの。ということは卒業は1.を指す。

 

入学した以上最終目標は卒業であるからして、卒業は予定調和なのである。それ自体にそれ以上の意味はなく、そこにドラマ性を求めるのは自己愛の現れだという面もあるよ。

写真は自己満足か

特にアマチュアの写真家さんは

「写真は自己満足の世界」とか言いますが

そんな風に考えるから気持ち悪い写真ばかり撮るんだよ!

とは言いたくても賢い私は言わない

 

例えば撮影テクのこなれた爺さんが孫の絶妙なショットを撮る

構図も、光も表情も抜群だ

だが、その顔だ

 

人物が入る写真は顔立ち、スタイルがその写真が表現するものにマッチしていなくては見ていて見苦しい

 

だからそんな写真はプリントして自宅の壁にでも貼って眺めてくれ

公の場に流さないでくれ

 

もっと冷静に客観的に見るべきだ

写真が下手

私は写真が下手だ。商品目当てに応募しても引っかかりもしない。

 

・・・・

 

私はSNSで自分を人に良く見せることができない。

病気だったり、トラブルだったり、ひどく落ち込んだ話をしたい。同情を買いたいのではなく、そのやれやれとした感じや、歳とともにガタがきてそのしょうもない感じを一緒に笑い飛ばしてもらいたいのだが、SNSはそのような場ではないらしい。

 

その感覚のズレが良い写真を撮ることの障壁になっているような気が最近している。

私が発信したいことと、受け手が求めていることが極端に違うのだな。

それはそれで価値観の強制が行われているようでとても気に入らない。