記録

自分の経験で得られた結果と考察の記録

写真のセオリーなんてうんち

負け惜しみに聞こえるならそれで構わないのだが。

 

写真で悩んで悩んで悩んでいる自分だ。他人の写真と何が違うのか。調べても調べてもどうしても理解不能。構図のことと、撮影意図。ほぼそれについてしかヒントがない。だけど何故か自分の構図は違ったものになるし、撮影意図はあるがうまくできたと思っていても結果がついてこない。

何かに入選したい!なんか取りました!とかは全然ほしくなく、俺はただただ賞金とか景品が欲しくてチャレンジする。

自分の写真が優れているとは言わないが、入選している写真を見ても良いと思うことは稀で、どうしてだろう?結局審査基準は思ったより幼稚なのだろうか、それともこれで何かを共感しているのか何なのだろうと長い間考えていたが、今日一つの結論を得た。

私は自分では情緒的な写真を応募するのだ。それは人それぞれだろうとは思うけれど、どうしても構図のセオリーには当て嵌まらない。撮影意図が伝わらない。ものを撮るのが写真であるが、私はないものを撮っていることに気づきました。私は「空間」を撮っていました。空間を撮るから構図はセオリー通りにならないし、無いものの意図は人には伝わらない。

もう一つわかっていることは、写真に関わっている人のほとんどは感性が普通だ。

それは本当に映えるのか?

映えるものを映えて撮るのもわからなくはないが

映えるものが本当に映えているのかがわからない

人が映えていると思い、切り出した写真も

映えると思っている映えるものも

僕には大そう素晴らしいものに見えなくて

それを撮ることに意味を見いだせない

物撮りの商業写真であるまいし

 

僕にとって写真は記録と記憶の狭間のようなものなのだなあと感じた瞬間がありました

ごめん。やっぱりコマーシャリズム(笑)

 普段人と話をしたくない人にとって、トーキングマラソンなんていうのは苦痛そのものだろう。

 「そんな人にはこの企画はあまりお勧めしませんが、ですけど・・・やってみることで新しい自分や人生が見出せるかもしれませんよ!」なんて言われたならば、それこそ啓蒙、啓発の名を借りたコマーシャリズム(笑)

アルク特別お題キャンペーン「#トーキングマラソン やってみた」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」

コマーシャリズム

 英語が話せたら素晴らしいという偏った啓蒙に載せたプロパガンダに見えるようでただのコマーシャリズム

 長年言われているが中高と6年も英語教育をしてペラペラ話せられるようにならない日本の教育システム。試験、成績至上主義だからだ。これを延長したところで大きく変わらない。

 わけのわからない検定も大好きな日本人。これも成績至上主義の教育の賜物であり、グローバルと言いながらガラパゴスを目指している。

アルク #トーキングマラソン 特別お題キャンペーン「わたしと英語」

アルク「トーキングマラソン」×はてなブログ 特別お題キャンペーン
by アルク「トーキングマラソン」

卒業

今週のお題「卒業」

 

卒業

→ 1.主に学校での課程を学び終える

→ 2.次の段階へ行くために何かを終了するさま

 

2.は学校の卒業の意味を比喩的に使い一般化したもの。ということは卒業は1.を指す。

 

入学した以上最終目標は卒業であるからして、卒業は予定調和なのである。それ自体にそれ以上の意味はなく、そこにドラマ性を求めるのは自己愛の現れだという面もあるよ。

写真は自己満足か

特にアマチュアの写真家さんは

「写真は自己満足の世界」とか言いますが

そんな風に考えるから気持ち悪い写真ばかり撮るんだよ!

とは言いたくても賢い私は言わない

 

例えば撮影テクのこなれた爺さんが孫の絶妙なショットを撮る

構図も、光も表情も抜群だ

だが、その顔だ

 

人物が入る写真は顔立ち、スタイルがその写真が表現するものにマッチしていなくては見ていて見苦しい

 

だからそんな写真はプリントして自宅の壁にでも貼って眺めてくれ

公の場に流さないでくれ

 

もっと冷静に客観的に見るべきだ